国際学部ではユーラシアと国際関係、日露関係などの講義を担当しています。基本的にはロシアとかウクライナといったユーラシアの国々の政治や国際関係について教えています。
名前からわかるかと思いますが、私は在日韓国人として生まれました。国籍は日本ですが、曽祖父母たちが韓国語を話していたのを覚えています。そうしたこともあり、私は自分が「〇〇人である」というアイデンティティを見つけられない時期がありました。中学高校の時に世界の歴史や地理の本を読んでいると、ソビエト連邦だとか中国だとかユーゴスラビアといった、非常に多くの民族や言語が存在する「多民族国家」に、とても興味を持つようになっていました。
「こんな社会があるのか!」
初めての国外旅行はカルチャーショックの嵐
苦労して東大に入学した後、目標を喪失してしまう、いわゆる「燃え尽き症候群」にかかってしまいます。周りの学生たちは、全員何か大きな目標を持って学んでいるように見えるのに、自分だけは何をしたら良いか全くわからないという状態でした。これはどうにかしないといけないと、大学1年の夏に以前から興味があったウズベキスタンに行ってみようと決意しました。
初めての国外旅行でしたが、何もかもがカルチャーショックです。まずウズベキスタンに到着したら、その日、宿泊するために予約していたホテルが存在しないことに驚きました。だまされたわけです。大変ショックでした。いきなり出鼻をくじかれて、どうすればいいか途方に暮れていたところ、飛行機の中で偶然、携帯の番号を教えてくれた人がいたことを思い出し、ダメもとで電話したら「サマルカンドという町に親戚がいるから、ホームステイさせてもらいなさい」と言われました。
ドキドキしながら紹介された家に行き、なんとか住まわせてもらえました。当時のウズベキスタンでは、外国人が「滞在登録」をしないで一般の家で暮らすことは違法でした。外国人は認可されたホテルに泊まり、そこに滞在登録をする必要があったわけです。けれども私はホームステイをさせてもらっているわけで、ステイ先の人と相談し「近くのホテルに1日あたり10ドル程度のお金を払って、そこに滞在していることにしてもらう」ことになりました。私の最初の国外生活は、そんな衝撃的な状況で始まったのです。
多民族国家というものを間近に体験したことも大きかったです。ウズベキスタンという国には非常に多くの民族がおり、たくさんの言語が話されています。ウズベク語というれっきとした公用語がありますが、ロシアの影響が強いのでロシア語を話す人もたくさんおり、ドイツをルーツに持つドイツ語を話す人たちも暮らしていました。スターリンの時代に、ロシア国内にいたドイツ系の移民が中央アジアに押しやられてしまったからだそうです。朝鮮系の人たちもいて、これもまたスターリン時代に「日本のスパイになるかもしれない」という理由で極東から中央アジアに流されたのだそうです。なので、バザールに行くと、イスラームの食材以外に朝鮮系の人が普通にキムチやナムルを売っていました。「こんな社会があるのか!」それまで日本から出たことがなかった私は非常に大きな衝撃を受けました。それが、私がソ連や旧ソ連圏を徹底的に研究しようと思ったきっかけになりました。
大学の4年生の時にはサンクトペテルブルク大学に交換留学をしました。そこで体系的にロシア語やペルシャ語などのユーラシアの言語を学び、留学後の大学4年生の時にロシア語通訳案内士の資格を取りました。日本とロシアの医療関係者の交流事業で通訳をしたり、テレビ局の中でロシア語のニュースを翻訳したり、ロシア人のインタビューの通訳を担当したりと、いろんな仕事をしました。
私の研究テーマの中心はソ連時代のロシアと中東、とりわけイランとの国際関係です。ただ、研究には随分と苦労しています。例えばモスクワの公文書館で、日本でいう外務省や農林水産省や経済産業省のような省庁が発行した文書を調べる場合、閲覧できない史料がたくさんありますし、たとえ閲覧できたとしても、コピーができない場合があるのです。そこで閲覧時間内に書き写し、それを基に論文を書いています。
国が違えば、
研究の方法も随分違う
ユーラシアの国々では、その時々の政治状況によって公開する文書の範囲が大きく変わります。例えばソビエト時代は1991年までですが、当時は外国人が機密文書を見ることは基本的に不可能でした。ですがソ連が解体されると、そうした文書がたくさん見られるようになります。それでも冷戦時代の外交文書などはまだ閲覧不可。いつ公開されるかは、今後のロシアをはじめとする各国の政治状況次第です。
イランでは、外国人が外交関係の資料を読むことは原則禁止です。なので、政府機関や学術機関が出した公刊史料を研究の土台にするしかありません。史料へのアクセスがその時の政治状況によって制限されてしまうということが、ユーラシアの国々の研究を難しくしています。
ロシア滞在中に
コロナとウクライナ戦争が
私はロシアで様々な経験をしました。新型コロナウイルスで都市がロックダウンされるようになってからも、モスクワには何度も行きました。モスクワ大学の寮で暮らしていた時にコロナウイルスの感染拡大が始まってしまい、寮の中に一か月以上閉じ込められたこともあります。その時は日本航空が用意した特別機でなんとか帰国しました。
2021年にロシアがウクライナに侵攻しましたが、2022年の夏、戦時下のモスクワを訪問しました。モスクワの街を歩いている時には雰囲気にほとんど変化はありません。しかしスーパーに行くと食料品が値上がりしていました。さらに外国から輸入していた食品や工業製品が売り場から消えていました。クレジットカードも使えません。西側の経済制裁の影響をずいぶんと肌で感じることになりました。
戦争が始まった直後、ロシアの友人が戦争反対のビラを町中に貼ったら逮捕されてしまいました。そして2週間も、すごく汚い拘置所に入れられたそうです。知人の中には戦死する人も出ました。戦争というものを肌で感じ、それまでは「歴史」を専門的に研究してきたのを、これからは「現代の国際関係」についても真剣に国際学部で教える必要があると考えるようになりました。
国際学部は
まだ見たことのない世界への入り口
国際学部の授業では、今、ユーラシアの国々で起きてること、例えばウクライナの戦争や、中国の新疆ウイグル自治区での弾圧といったことが、どういう歴史的経緯で起きているのか、そこに焦点を当てて教えています。
日本で生まれ育った大半の人々にとって、ユーラシアの国や地方が注目されるのは、戦争やクーデターといった大きな揉め事が起きた時ぐらいで、基本的な知識すらありません。なので「また何か争いごとが起きているようだか、よくわからない」といった具合になってしまいがちではないでしょうか。
私の授業を受講すれば、ユーラシアがどのような国々で構成されていて、どういう民族がいて、どういう言語が話されていて、どういう歴史があって、どういう政治が行われていて、その結果、どういう国際関係が展開されているのかが、分かるようになります。みなさんと一緒に学べるのを楽しみにしています。
(2023年3月6日 聞き手:持留和也 )